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自死した長女の遺したもの

- 永遠のいのちを教えられて -  長内久美子

一、二人の娘達から教わったこと

 娘三人の長女りえが、アルゼンチンで自死したのは、2003年3月11日でした。
 それから一ヵ月も経っていない日のことでした。アパート住まいをしている二女に、りえの服で着るのがあったら、持ち帰るように言いました。服を手にした二女が階下に降りて来た時、鼻をかんだ二女の心を思いやって、「泣いたの?」と、私が尋ねますと、「ううん、花粉症。りえちゃんのことでは、もう泣いてないよ。」と言い、三女も「私も淡白だから、もう泣いてない。」と言うので、驚いてしまいました。私は、二年経った今でも、何かにつけては泣けますし、地に足がつかない状態が一年は続きました。
 ニ女は、りえとは一歳半しか齢が離れておらず、二人が中学生の時には、「お互いに友達がいらないくらい」というほどの仲の良さでした。そして三女が、「お母さんは大人になってから信仰したけど、私達は生まれた時からこういう環境だったから、りえちゃんが『天にかえる』って言ったら、『そうだったのかー』って思ったし、あの世も神様もあるって、小さい時から当たり前と思ってたから。」と言い、二女もうなずいておりました。私は改めて、「信じること」のすごさ・力を娘達から教えられました。この二人がりえの自死を受け入れ、生前以上にりえへの愛と尊敬を持ち、明るくいてくれたことが、私を支えてくれました。
 りえが自死した日の夜に、二女がりえにあてた手祇を記します。りえと一番近しかった二女が、その日のうちにこれだけの感謝の気持ちを書いたことに感嘆しました。

「お姉ちゃんへ。
 二十三年間ありがとう。お姉ちゃんの妹として、この世に生まれて来れたことに感謝します。けんかをしたり、一緒に遊んだり、悩みを相談し合い、私にとってかけがえのない存在です。友達や家族には言えないことも、お姉ちゃんには何故か話せる。格好つけずにいろんなことを打ちあけ、また励まされ、なぐさめられ、勇気づけられたよ。それから、お姉ちゃんにとっても、私がそういう存在であったと思います。芯が強く、優しく、才能にあふれ、時にはびっくりする程おっちょこちょいで、そんなお姉ちゃんが憧れであったり、うらやましく思ったり、何より自慢の姉です。いつからか人をひきつける明るさ・パワーをもち、お姉ちゃんのまわりにいる誰もが、きっと少しずつ力をもらっていたと思います。
 今日、お父さんやお母さん達と、お姉ちゃんの天命・使命について話し、それまで悲しくて悲しくて、しっかりしなきゃ、という気持ちとは裏腹に、ただただ涙が出て、何故? どうしてという想い、もっと話を聞いてあげればよかった、という自責にかられていたのが、スーツとどこかへ行ってしまいました。A先生の手紙をお父さんが皆に読んで聞かせ、私もやっと、お姉ちゃんの命の意味を感じることがでさました。生まれてからずーっと一緒に育ち、一番近くにいたお姉ちゃんが旅立つのは、とてもとても淋しいです。けれど神界に迎え入れられ、いつでも側に行き来できるという話を聞き、さすがはお姉ちゃん、と思いました。いつでも会いに来てね。これからも私の側に、みんなの側に来て様子を見守ってね。日本とアルゼンチンを行ったり来たりじゃ大変だけど、時間も距離も関係ないって言うから、大丈夫だよね。
 お父さんとお母さん、特にお母さんなんかは大丈夫かな、と、私がしっかりしなきゃと自分に言い聞かせて家に戻ったけど、とんでもない。うちの家族は強い。強いというか、命・生に対してのとらえ方、考え方が、普通の人々とは違い、意味・天命という受けとめ方で、これまで信仰心の薄かった私でも(こんな家庭に育ちながらも!)お姉ちゃんの生に対して、ちゃんと向き合えた気がします。仲のよい姉妹に生まれて本当によかった。尊敬するお姉ちゃんへ伝えたい。ありがとう、本当にありがとう。これからもよろしくね。愛をこめて。由佳より」


二、「あの世」を信じるようになって

 私は小学生の頃、日曜学校に通ったりもしていましたが、あの世をどうしても信じられずに、「死んだらこれっきり」と、ずっと思っておりました。二十歳の四月に今の夫と出会い、神様を信じていた夫は、私にもお祈りを勧めましたが、即座に断わっておりました。でも話を聞くのは面白くて、あの世や宇宙・神様の話等を聞き続けておりました。そして、クリスマスに「聖衣」という映画がTVに入り、最後の場面。キリストを処刑し、その奇跡にふれてキリストに帰依したユダヤ兵とその婚約者が、処刑台を昇って行き、「彼らはこれから神の国へ赴き、神と共におわすのである……」というようなナレーションが流れました。そのとたん、「あ、あの世ってあるんだ!」と思え、涙が三十分ほども止まらなくなりました。きっと魂の嬉し涙だったのだと思います。あの世が信じられたので、「神様もきっといらっしゃるだろう」と思え、祈るようになりました。
 りえの死が、もし、全くの無に帰した」とするなら、その苦悩は、想像を絶するものだったと思います。涙はまだまだ枯れないながらも、あの世でのりえの働きや存在を信じ、感謝を送れるようになっていたことが、とても私の心を救ってくれました。


三、りえの遺したノート

 りえの死の翌日、夫婦でアルゼンチンヘ発つと、次のようなことを書いたノートが遺されていました。

「泣きたいくらい本当の世界はきれいで 光にあふれている
ひとつひとつの命が輝いて そこにある
ただ生きているだけで 光になる
今、私は 自分の天命について確信を得ている
私が今、アルゼンチンにいることは運命、
わたしは何のために生まれてきたのか、
アルゼンチンにきて よくわかった。
でも二十六年なんて 短い人生。
わたしの最後の人生。
……でも 少しも悲しくはない。
今、私の気持ちはすっかり 天国へ行ってしまっているようだ。
人間界とはとっくに離れているような気分。本当は自殺は一番 いけないことだけど。
……でも、私のただの思いこみでも、きっと天国に行けると思う。
私は 天から みんなのことをいつも 見守っていられたらすごく幸せだなーと思う。
いろんな人に迷惑をかけた分、お返ししたい。
私はいろんな人に好かれて幸せ者だった。
家族もきっと悲しませてしまう。すごく。
みんなのことを考えると胸がキリキリする。
親より先に死ぬなんて親不孝もいいところだ。
……自殺だけど神さま、どうか許して下さい……(いい自殺もあるということで)
それに、うちの家族が死ぬほどお祈りをしてくれている。安心して死ねる。
今は時間のある限り、有いぎに過ごしたい。最後の役目。
ぞうか、今はちょっと 二十六年 人間界におりて、
人のために生きて 修業して すぐもとのところにかえるのね。
……私の人生は映画みたいだ。壮絶だ。
願うことは、私か死んだ後も、うちの家族もアルゼンチンの家族も 幸せに暮すこと。どうか元どおりの仲のいい家族にもどって……
……そして 世界の平和、戦争がこの世からなくなる事。死ぬ前にまで こんな事を思うなんて……へんか。
小さい時から 戦争については敏感だった。すごくきらいなものだった。どうして こんなにあつくなるんだろうと思っていたけど、よくわかった。
……お葬式は かなりの密葬でやってほしい。ちゃんとした葬式に なんの意義も 求めていないです。ただかえるだけだから、お祝いでもするいきおいで。死ぬことはちっとも怖くありません。」
 そして、家族あてにも感謝と許しを綴り、私にだけ、「お母さん、早く元気になってね」と書いていたのは、二人の妹達は大丈夫だと、ちゃんとお見通しだったのです。
身内だけで行なった送る会では、ノートや手紙を皆涙々で聞きましたが、その後の宴席では、美しい雛会席に歓声を上げ、よく飲み、よくしゃべり、りえが望んだ祝いの席のようになったのには、我ながら驚いてしまいました。
 そして、私共夫婦と二人の娘等と、2004年11月にアルゼンチンの家族を訪ね、親しく交流や旅行をしました。帰国後アルゼンチンの家族がくれた電話では、「こんな言い方をしては何かもしれないけれど、りえのお陰でみんなが、とても深く心の交流ができるようになったと思うよ。」と言ってくれました。私共は、自死の現場も見ず、警察の取り調べも受けず、報道もされず、葬儀もせずで、未だに夢のような気もするのですが、筆舌に尽くし難い痛みと迷惑をかけた家族から、このようないたわりのことばをもらい、涙があふれました。りえの願った以上の深い心の交流ができるようになったのです。


四 絵本「ひろいそらのしたで」と「長内リえ画集」の出版

りえの描き遺していたものを出版したいと思い、知人の紹介で葉祥明氏に見ていただいたところ、「りえさんは、絵も完成したし、この世のことも完成したから、喜んで天にかえったんだよ! 今も元気でいるよ! 絵もこの世をはかなんで、とか全くない。魂の光・アルゼンチンの光を描いている。見た人が元気の出る絵だよ!」等と絶賛して下さり、私も口をあんぐり状態で、涙ボロボロでした。そして、次の推薦文を下さり、また、涙々でした。
 「長内りえさんの、美しい色彩と伸びやかなタツチで描かれた世界の、この上ない豊かさはどうだろう! これらを見ていると、生前の彼女が、いかに生命力に満ち満ちていたかがよく分かる。
 そして、彼女が生きることをどんなに楽しみ、誰よりも人生を愛し、この世界を愛し、幸せだったか、遺された多くの作品が雄弁に語っている。彼女の笑い声や笑い顔が、今でも聞こえてきそうではないか!」
 まず、「誰よりも」ということばに驚いてしまいましたが、私もりえは、この世の幸せを満喫していったと確信しています。「大好きな絵を描くのが楽しくてたまらない」と、喜々としてたくさんの絵を描き、恋も成就し、子育てまで、我家の里子のお母さん役をして楽しみ、日記にも「なんでも好きなことが自由にできる、こんな幸せな家庭に生まれたことが、奇跡のようだ」等と書いていました。
 葉氏の推薦をいただけたことと、友人から紹介してもらった原書房の寿田英洋氏の大変な御好意で、二冊の本の出版が叶い、そして、りえの絵を見た多くの方々が感動を伝えて下さって、そのことに歓喜し、励まされてきました。
 難病のために仕事をやめた知人も、「今、家族や友人が、ねこのように私を支え励ましてくれています。あの絵本を読むと、まるで自分のことのようで……。長内さんの苦しみやつらさに比べたらとても小さいものだけど。長内さんのように希望をもってのりこえたいと、絵本から勇気をもらいました。」と、手紙をくれ、涙が出ました。りえの絵本が与えた勇気と、私がりえの死後、ただ元気でいることだけでも、誰かの希望になっていたことに。リえの絵本がきっかけで、親友になりました。
 本の出版や原宿の積雲画廊での個展等、りえの遺した仕事のお陰で忙しく、また、ほんとにたくさんの素晴らしい方々とお会いでき、身も心もシャンと自立していられたと思います。


五、精神科医越智啓子氏の「生命の子守歌」を読んで

この本は、私か勧めたのですが、読後のりえの日記にこうありました。

「書いてあることは、白光の本(4)でいっていることと本当にそっくりでびっくり。だいたいはわかっていたことをものすごくリアルにわからせてくれた。前世のこともやけに納得した。そういうしくみか、世の中偶然なんてないってことを。いい本を読んだ。みんなに教えたくなったよ。これを世界中の人が読んだら、世界はあっというまに幸せになる気がする。まわりまわっているこの宇宙、地球を。輪廻転生を。わたしという存在がものすごい確率でこの世に生をもち、生まれてきた。しかも、自分ですべてを決めて。
この世に生きていること自体、とても尊い。そういうことがすべて、はっきりとこの本を読んでわかった。……愛と笑いは癒しの効果が絶大って今日の本でも書いてあった。この人のしていることはほんとにすごいって思った。前世がみえる能力も思う存分活躍。」
 その後、氏の講演会にも一緒に行き、りえが祈り始めるきっかけとなりました。
 そして最近、越智氏の講演会に家族でお礼に訪ねた祈りに、「普通の娘ならこんなスゴイ絵描けないわよ! 今も描きたくて描きたくて、あっちで歓喜して描いてるわよ!」と教えて下さり、「お母さん、生んで育ててくれてありがとう!」と、私をハグして下さった時には、嬉し涙があふれました。
 また、講演の中でも「自殺と殺されることも同じで、まわりの遺された人が、本質の光を見つめ、深く生きることを学び、きちんと意識して毎日をすごすことに目覚めていくのです。」ということを教えられました。私も、今りえに会えないという悲しみがあるが故に、花を見ても、自然の中にあっても、音楽を聴いても、人と話しても、深いところで共鳴したり、涙したり、感動できるようになったと思います。


六 縁あるたくさんの方へ「ありがとう!」

 この手記の話をいただいて、実名で書こうと思いましたのは、りえの絵を見ていただきたいことと、「自殺って言えなかった」を書いた青年達にお礼が言いたかったからです。
 この子達スゴイ! 自責の念すら持っていたのに、仲間と語り、励まし合ううちに、勇気をふりしぼっていく。「自死は、決してやましいことなんかじゃない。こんな辛い想いをするのは、僕達だけでたくさんだ。自死者をなくすためには、もっともっと優しい社会に変えねば」と、名前も顔も出し訴えていった君達の勇気と魂の叫びに、心の底から「ありがとう」です。お陰で、私もりえの自死を受けとめ、勇気を出して語ることがてきました。
 柳田邦男氏も、二男洋二郎さんの死にあたってのシンクロニシティ、すべての点が準備されていると、書かれていましたが、私も、この本をりえの自死の二十日ほど前に読んでいたことも正しくそうで、自死への意識をガラっと変えてくれていたのです。柳田氏の「犠牲」も読んでおり、ここまで書かれたことに感銘を受けておりました。
 それから自死等で、愛する人を失って、絶望の中におられる方々に、すべての人の「永遠のいのち」をどうか信じ、折ってあげて欲しいと、私の体験をお伝えしたかったからです。
 最後に葉氏の著書の「もういちど 会える」から記します。

「たとえ、この世にいる期間が短くても、長くても、すべての子どもはその子にとって必要なだけの時間をこの世界ですごしていくのです。そのことを知っているのは、その子の魂だけです。……幼い生命の目的や役割を私たちは完全に知ることはできません。それはあまりにも深遠なことですから。しかし、彼らの短い生命と人生には、はっきりと目的もあり、意味もあったと知ることは、愛する子を失った悲しみを癒すよすがとなるでしょう。そして、いずれ再会できるという事実は希望の光となるにちがいありません。」

 そして葉氏は、「このことが分かると、後ろじゃなくて、前を向いて進めるよ! 自殺者もかつては、世をはかなんで、という人が多かったけれど、今は目的のある人が多いよ」とおっしゃっていました。
 私も、「自死なのに天にかえってるって本当?」という疑いが、どうしても拭いきれなかったのですが、スピリチュアルなたくさんの方々に次々とお会いする機会があり、それぞれ別々に「りえさんは今も輝いて在り、みんなのことをすごく守っている。お母さんありがとうって言ってるよ!」等と、同じことをこれでもかこれでもかと伝えられ、永遠のいのちを確信することができました。そして、このことを家族や、りえや私の友人達等に何度も何度も語ることで、涙し、癒して来られたと思います。
 本当に、縁あるたくさんの方々に教え導かれ、愛や励ましを頂いて、りえと共にあるこの平安を得ることができたことに、感謝の気持ちで一杯です。そして、二人の娘達が、りえの願った世界の平和を共に祈るようになったことは、無上の喜びであり、りえにあいま見える日を楽しみに、家族皆で、明るく、愛と真を行じていきたいと、念願しております。

〔引用・参考文献〕
(1)長内りえ「ひろいそらのしたで」原書房出版 2004
(2)長内リえ「長内りえ画集」原書房出版 2004
(3)越智啓子「生命の子守歌」PHP出版 1999
(4)五井昌久「神と人間」1953、「日々の祈り」1980、「愛すること」1973等多数 いずれも白光出版
(5)自死遺児編集委員会、あしなが育英会編 「自殺って言えなかった」サンマーク出版 2002
(6)柳田邦男「犠牲」文芸春秋 1995
(7)葉 祥明「もういちど 会える」 大和書房 2001

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