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「恩送り」舞ちゃん素敵!ありがとう2009.10.08

2年前に東京で開催された自殺予防シンポジウムで、お父さんを自殺でなくした桂城舞ちゃんの体験談をはじめて聴いて感動しました。
このセミナーの一週間ほど前に彼女の友人も自殺し、「私には語る資格がない」と、発表を辞退しようと思ったそうなのですが、自分の体験が少しでも役に立つならと勇気をふりしぼって発表してくれたのでした。辛さをこらえながら懸命に語る彼女の話に私は涙でグショグショ、臨席の夫も鼻をすすっていました。

セミナーの打ち上げで舞ちゃんにりえのことを話し、ハグし合いました。彼女は、「あしなが育英会」の自死遺児の会で自分を責め続けていたことを語り、仲間の中で自分を赦し、癒して、その力を社会に発信してくれました。

以前新聞に出た時に友達の反応を聞くと、「勇気あるねー!」とみんな応援してくれたそうです。今回は1面に青空をバックにした舞ちゃんのカラー写真、続きの社会面にも写真が載る大きな扱いで、スゴイ!
「恩送り」に私も参加しますね。

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2009年9月14日の毎日新聞記事より
「父がくれた命を 人のために」
福岡女学院大4年の桂城舞さん(22)ら自殺などで父親を失った遺児たちが、心をふさぎがちな母親のために設立した「あのねの会」(福岡市)が今月5日、初めて近くの温泉に1泊旅行をした。参加者は桂城さんの母ら6人。互いに胸の内を語り、肩を抱き合った。「苦しかったのは私だけじゃなかった」と、ほっとした表情を見せた。
桂城さんは「弱音を吐き出し、思いを分かち合える場が社会にあれば、人は死なずに済むのではないでしょうか。父がくれた命を、母親だけでなく多くの人のために使えたら幸せです」と話す。

桂城さんが高校3年の時、父親(当時44歳)が練炭自殺した。事業に失敗し借金に悩んだ末のことだった。当時は離れて暮らしていたが、死の数日前「ご飯を食べよう」としばらくぶりに携帯に電話があった。その時、桂城さんは「忙しいから」と断ってしまった。「助けてあげられなかった―」。

自責の念は消えない。 生活を支える収入は無くなった。弟と妹はまだ幼かった。「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」「頑張らなきゃだめよ」。親類の言葉を聞きながら「具体的には、誰も何も助けてくれない。見て見ぬふりをするだけだ」と、大人や社会への怒りだけが募っていった。

大学2年で交通事故や自殺者の遺児を支援する「あしなが育英会」街頭募金活動に参加した。「そんな暇があればバイトでもしたら」。通りかかった男性に言われ、落ち込んだ。最終日、街頭で思い切って自分の体験をさらけ出した。「お父さんのことが大好きでした。でも救えなかったのです。皆さんも絶対死なないでください」。通りすがりの人たちが、足を止めて聞いてくれた。
「思いが伝わるならやってみよう」。自殺予防のシンポジウムで体験談を話す役を引き受けた。スタッフの中には、家族を自殺で失った経験がなくても、遺族の実態を明らかにするため寝ずに調査をする人がいた。自分の話に泣いてくれる人もいた。「本気の大人」を見たのは驚きだった。

父の死後、母はうつ病が悪化し、閉じこもりがちだった。「私には仲間ができたけれど、お母さんたちは孤立しているのではないか」。遺児をもつ母親の会「あのねの会」を今年3月、仲間と設立した。
「悩みがあったら相談して」。桂城さんは今、友人たちにも広く声をかける。「元気そうに見えても、人はどう追い詰められているか分からない」。自分がしてもらったことを、助けを必要とする別の誰かにしてあげること―。桂城さんはそれを「恩送り」と呼んでいる。
かつては他人の痛みに無関心な社会を憎んだが、受け止めてくれる人がいたから、今は信じることができる。「社会はきっと変えられる」
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