Home  »  「生きる」りえちち

「生きる」りえちち

今月は初めて、りえちちの手記を掲載します。東北被災地での祈りのレポートで月刊白光誌7月号に掲載されたものです。
 りえははも、この記事の中の友人のIさんのご紹介で、4月16日以来5度に渡り、福島・仙台に、友人等から寄せていただいた支援物資をお届けいたしました。私もお礼とご報告を書きたいと思いながら、あまりの惨状と、そしてそれを乗り越えていっておられるスゴい方々をとても私の筆では書くことができずにおりました。丁度、この夫のレポートが、私の言いたかったことを代弁していますので、どうぞご一読下さいませ。


 五月の連休に、東北の福島、仙台、石巻き、弘前の各集会と、八戸での祈りに参加する機会に恵まれました。
 今年に入ってまもなく、私の郷里でもある青森県の弘前駅前集会の責任者YIさんから、五月三日の集会の講師依頼を受けていたのがその発端となりました。東日本大震災が起きてから一ヶ月が過ぎた頃に、家内が宮城県仙台市のHIさんと富士聖地でお会いし、それなら途中の福島や宮城にも寄って、ということになりました。直接震災を受けた方々の住む地で、皆さんとともにお祈りできることは願ってもない有意義なことです。
 五月一日朝、千葉県長生郡一宮のENさんとともに東京を出発し、午後一時より福島集会が開催されました。東京のTさんご夫妻、茨城のYIさんも駆けつけて下さいました。福島市曽根田町にある会場は、数十年にもわたる祈りの場ということで、まさに福島道場と言うべき雰囲気があります。
 この日の集会は、HIさんの呼びかけにより実現したものですが、遠方からの参加もあり、三十数名の方が集まって下さいました。未だ震災の只中にいる皆さんが久しぶりに顔を合わせ、互いに手を取り合って言葉を交わしているお姿からは、言葉にできない万感の思いが伝わってきます。おそらく震災からたった日数より、遙か長い月日の流れを感じていたに違いありません。
 この東北各地の集会では、震災と原発に向けた祈り、日本の大天命への祈り、東北地方の祈りを盛り込み、言霊による神示の宣言や誓いなどを加えました。そして、震災を受けた地域の方々の大きなお働きや、これからの新しい地球世界を迎えるために日本の天命を果たしていく私たちの役割などについても、お話をさせていただきました。
 福島の方々は特に原発事故に対するやりきれない思いもあり、祈り一つ一つに真剣さが伝わってまいります。会が終わった後の座談で、「でも、この震災があってから、隣近所の人、地域の人たちがみんな違う人かのように優しくなったのよね!」とのある方のお話に一同大笑い。他の皆さんも同じ経験をされているということでした。「参加をどうしようか迷ったが、こういう時だからこそと思って出てきました。参加して本当に良かったです」「やっと元気が出てきました。本当にありがとうございました」など感謝の言葉をたくさん頂きました。帰り際に「私はこれで、もう前に進んでいけます。もう大丈夫です」と、両手を握りしめて下さる方もおられました。
 福島集会終了後仙台に移動。仙台駅前そば豪華高層ビルの一室から市内の夜景を見下ろしつつ、夜七時和泉集会開始。二重数名の方々による真剣な祈りと印と言霊。娘さん夫婦の家が被災したという会員さんは、四月にHIさんと家内がご自宅を訪ねたことを「本当にうれしかったんです」と伝えてこられ、最後のお祈りの中では五井先生の大きな光に包まれ、感謝の涙が溢れてきたという事でした。
 翌五月二日、仙台よりHIさんの先導で石巻に向かいました。海沿いの石巻きは、報道でも知られるように津波による大規模な被災地で、会員のMOさん、TTさん姉妹が住む町並に近づくほどに、家屋の損壊と道の両脇に瓦礫が積み上げられている光景に変わってきました。市の必死の作業により、やっと車が通れる道路になったとのこと。家の一階は、海水が地面から二メートルまで泥とともに流れ込んだそうです。お軸を移した二階の間で、この被災地の真只中で十四名が無心に祈り、周辺に大きく光を放ちました。
 MOさんが、被災にあった日のことを話して下さいました。大きく揺れた後、ただならぬ様子で避難していく人たちとともに学校に避難。一階では危ないということで三階に。不思議なのは、全身が光りに包まれているように感じて全く恐怖感が起きなかったこと。この人たちを祈らなければと、気が動転している周囲の方々に相槌を打ちながら深く祈っていたそうです。水が引いた後は家の一階の泥を掻き出し、ご自分の家の掃除はこれで終わったということで、その後は毎日避難所に出向いて炊き出しなどボランティアをなさっています。衣服や生活用具も最低限あればいいので、不自由している避難所の人たちに物をあげ、全国から来ているボランティアの人たちを含めて誰にでも声をかけ手を握って廻っているとのこと。物資を家に送ってくださる方もいるので、集めて避難所の方々に運んでおられます。家内が事前にそのことを聞いて、今回、寝具や生活用具、食料などを知り合いの方々から集めて運び、託してきました。お仲間であるKさんのおっしゃるには、MOさんが避難所に行くと学校中が明るくなるのだそうです。寸分も心惑うことなく先だけを見、ご自身の心も持ち物をも極限に軽くして、周囲の方々に愛と光を放ちつづけていらっしゃるMOさん。私たちのお手本のような姿に、ただただ頭が下がります。しかしながら、祈りの波動とはまだ遠い避難所の方々を光に導くことは容易ではないことも自覚されていて、ぜひまた祈りの応援に来てほしいとのことですのでまた訪れたいと思います。集会後に案内していただいた海沿いの被災地は、家屋やただの赤さびた鉄板になっている自動車などの積み上げられた瓦礫の山が、道路の両側に延々と続く様に言葉もありません。行き止まりの埠頭で、再度みんなで祈りました。この福島、宮城でのお祈りは、地域を跨いで体を運び祈りをつないでおられるHIさんのお働きの賜物でした。

 五月三日は青森県の弘前駅集会です。各地から三十数名が集まって下さり、とくに男性が半数ほどいらしたのが印象的でした。ただ、被災の地とは違って、参加者の皆さんの今の局面に対する危機感はさほどではありません。福島、宮城の方々のお話を交えながら、やはり同じようなプログラムで進めました。そして時間の経過とともに祈りの熱気が高まってくるのがわかりました。午後の座談会では「今までこんなに真剣に祈ったことがなかった」「普段出来ないお祈りを経験できて素晴らしかった」「私もぼやぼやしていられない、今日から真剣に祈りに励もうと思った」など、多くの方から意欲的なお言葉を聞くことが出来ました。
 翌五月四日は、弘前の集会に参加された方々と八名で、やはり沿岸が津波の被害を受けた八戸をお浄めに廻りました。現地にお住まいの会員さんであるYさんを加えてお祈りを始めましたが、次第に天気予報になかった嵐のような強い雨風に変わりました。それもまた、二時間ほどで何事もなかったかのように青空に。溜まっていたエネルギーを龍神様が一気に浄化したかのようでした。八戸の被災地では、元会員だったFさんという方に声をかけて一緒に祈り、持っていた百光誌五月号を差し上げました。「私の家はあと五〇センチというところで助かりました。」近隣の十数件は皆流されました。お金の余裕もなく会員は辞めていますが、そういえばこれも五井先生のお蔭だと思います。今回来てくださって本当に有り難うございました。また声をかけてください」と、懐かしむように語られ、雨の中、別れを惜しむように見送ってくださいました。
 この東北各地のお祈りを通して、多くのことを考えさせられました。紛れもなくこの大震災は言葉に言い表せない大きな痛みを与えつづけています。しかしながら、それとともに三月十一日に大転換のキーが回ったということも強く実感されてきます。とくに今回は、何らかのご縁で五井先生につながっている地方のお一人お一人が、ご本人の思いを超えた代え難い存在として、今の日本にとってどんなに大切な祈り人であるか、ということを再確認させられる機会となりました。被災した方々のお働きに感謝し、多くの人々の目覚めを促して次の黎明なる日本そして世界を迎えるために、今後とも祈りを高めて参りたいと思います。

トップページに戻る